アフリカ 動き出す9億人市場、を読んだ(NK)
アフリカ 動き出す9億人市場(Africa Rising)、ヴィジャイ・マハジャン著(Vijay Mahajan)
ビジネスの教授がアフリカのビジネスチャンスを語る本。中国の13億人に比べてアフリカは全部で9億人、インフラも政治状況も悪い。しかし、欧米などでの印象が悪すぎるところに逆にビジネスチャンスがあり、その歩むであろう道を推測できるインドや中国の事業家がアフリカを訪れているということのようだ。停電が多いから発電機が売れる、といった「みんなはだしだから靴は売れない」「だから売れる」という古典的な発見モノでもある。さらに「メディアは悲惨な状況について話すことばかり好んで、成功を伝えることに対しては非常に抵抗感を示すのです」というコメントを紹介している。市場の力に十分気づいていない。そこにチャンスがあるという。
インフラ不足、政治が機能せず官僚や警察は賄賂が横行するといった問題は、先進国に比較すれば明らかにある。それゆえ市場は官民協同で「組織化」するのがよいという。特に健康や社会問題にかんする場合、重要だ。
ノバルティスの抗マラリア薬は効果が強い薬だったが、問題はコスト、流通、認知度、教育にあったという。WTOなど経由で原価で提供。無料配布され知らしめられた。また、薬局や医師を通じて裕福な顧客層に営利事業を展開した。教材やイラスト入りのパッケージを作った(マラリヤ対策の蚊帳が魚網い使われた例があった)。病院でもこの薬が積みあがった横で間違った薬が処方され、分量も間違っていたこともあるという。偽造薬品の被害もあり、処方薬が薬局で売られ、価格も一様ではない。
ナイロビの蜂、という映画もこの観点からみれば、逆方向を見ている。会社は悪いことをしがちな存在であり、いつのまにか悪意に満ちている。しかし、たぶん現実はこの本に近いのだろう。すべてを国の官僚組織やNPOなどにゆだねても薬や医療がいきわたるのは難しいだろう。逆に、企業の「いつかは利益を上げる、成長市場に参加する、いや市場を作り出すといったインセンティブに任せたほうが効率よく最善になりやすそうなものだ。企業はインフラ不足などの現実をうまくハンドルすることができる。NPOなどがあきらめても希望があればあきらめないし、誰とでも組むだろう。ナイロビの蜂であるスリービーズという医薬開発会社も「市場を組織化する」ために無料の医薬品提供や健康相談を行ったのだろう。
しかし、誰とでも組む、なんでもできる、ということが企業の問題でもある。それを律するためのコンプライアンス(法令遵守)姿勢は、企業のカルチャーとして埋め込まれていなければならない。これは経営問題として重要だ。特にアフリカをはじめインフラや政治組織が未成熟な地域での企業活動は、いかに自らを律するかが重要であろう。
「援助ではなく貿易を」と題した章において、「アフリカは戦争と病気と支援要請しかない大陸だ」という印象が生まれるのが問題だと述べる。しかし、慈善事業だけですべてを救うことは不可能だし、事業がリードするほうが良いだろう。逆に企業が企業市民活動として病気、貧困、腐敗などの課題に取り組む理由はこの本では「賢明な利己心」と表現されている。従業員や顧客が直面している問題に懸念を抱かない企業は、長続きしない。だからこそCSRが必要だとみている。これは経営学者としては標準的な見方だろう。
問題があるからこそビジネスチャンスがある。この考え方を否定することは、企業が成長の中心であることを否定することだ。銀行が無ければ携帯電話で銀行をやる、健康問題があれば、医薬品や保険の需要がある。そこで利益を上げるインセンティブは、ナイロビの蜂の人体実験(いずれにしてもこの人たちはもうすぐ死ぬのだ、といった感覚からスタートしている)のような方向にころばなければ有用に違いない。どうやったら転ばないのか、そこには国民の利益を守る政府すらないのだから、企業が自らを倫理的に自己管理する仕組みを持たねばならない。それすら、社長自らその模範となれない会社であれば、機能するはずがないのである。
ビジネスの教授がアフリカのビジネスチャンスを語る本。中国の13億人に比べてアフリカは全部で9億人、インフラも政治状況も悪い。しかし、欧米などでの印象が悪すぎるところに逆にビジネスチャンスがあり、その歩むであろう道を推測できるインドや中国の事業家がアフリカを訪れているということのようだ。停電が多いから発電機が売れる、といった「みんなはだしだから靴は売れない」「だから売れる」という古典的な発見モノでもある。さらに「メディアは悲惨な状況について話すことばかり好んで、成功を伝えることに対しては非常に抵抗感を示すのです」というコメントを紹介している。市場の力に十分気づいていない。そこにチャンスがあるという。
インフラ不足、政治が機能せず官僚や警察は賄賂が横行するといった問題は、先進国に比較すれば明らかにある。それゆえ市場は官民協同で「組織化」するのがよいという。特に健康や社会問題にかんする場合、重要だ。
ノバルティスの抗マラリア薬は効果が強い薬だったが、問題はコスト、流通、認知度、教育にあったという。WTOなど経由で原価で提供。無料配布され知らしめられた。また、薬局や医師を通じて裕福な顧客層に営利事業を展開した。教材やイラスト入りのパッケージを作った(マラリヤ対策の蚊帳が魚網い使われた例があった)。病院でもこの薬が積みあがった横で間違った薬が処方され、分量も間違っていたこともあるという。偽造薬品の被害もあり、処方薬が薬局で売られ、価格も一様ではない。
ナイロビの蜂、という映画もこの観点からみれば、逆方向を見ている。会社は悪いことをしがちな存在であり、いつのまにか悪意に満ちている。しかし、たぶん現実はこの本に近いのだろう。すべてを国の官僚組織やNPOなどにゆだねても薬や医療がいきわたるのは難しいだろう。逆に、企業の「いつかは利益を上げる、成長市場に参加する、いや市場を作り出すといったインセンティブに任せたほうが効率よく最善になりやすそうなものだ。企業はインフラ不足などの現実をうまくハンドルすることができる。NPOなどがあきらめても希望があればあきらめないし、誰とでも組むだろう。ナイロビの蜂であるスリービーズという医薬開発会社も「市場を組織化する」ために無料の医薬品提供や健康相談を行ったのだろう。
しかし、誰とでも組む、なんでもできる、ということが企業の問題でもある。それを律するためのコンプライアンス(法令遵守)姿勢は、企業のカルチャーとして埋め込まれていなければならない。これは経営問題として重要だ。特にアフリカをはじめインフラや政治組織が未成熟な地域での企業活動は、いかに自らを律するかが重要であろう。
「援助ではなく貿易を」と題した章において、「アフリカは戦争と病気と支援要請しかない大陸だ」という印象が生まれるのが問題だと述べる。しかし、慈善事業だけですべてを救うことは不可能だし、事業がリードするほうが良いだろう。逆に企業が企業市民活動として病気、貧困、腐敗などの課題に取り組む理由はこの本では「賢明な利己心」と表現されている。従業員や顧客が直面している問題に懸念を抱かない企業は、長続きしない。だからこそCSRが必要だとみている。これは経営学者としては標準的な見方だろう。
問題があるからこそビジネスチャンスがある。この考え方を否定することは、企業が成長の中心であることを否定することだ。銀行が無ければ携帯電話で銀行をやる、健康問題があれば、医薬品や保険の需要がある。そこで利益を上げるインセンティブは、ナイロビの蜂の人体実験(いずれにしてもこの人たちはもうすぐ死ぬのだ、といった感覚からスタートしている)のような方向にころばなければ有用に違いない。どうやったら転ばないのか、そこには国民の利益を守る政府すらないのだから、企業が自らを倫理的に自己管理する仕組みを持たねばならない。それすら、社長自らその模範となれない会社であれば、機能するはずがないのである。
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