だってBだから

へんなおじさんたちのブログ。

Saturday, October 04, 2008

西の魔女が死んだ、を観た(NK)


これは良くできた映画だった。原作を読んでいないが、たぶん十分伝えられたに違いない。魔女とは「良くできた人間」と置き換えると良いかもしれない。神でも仏でもない。修行もしないといけない。しかし一度魔術を覚えればよりよく生きることができる。そもそも生きなければならないのか、という疑問すら感受性の強い見習い魔女の主人公は思うわけだが、「死んだことがない」西の魔女だって本当の答えはない。不完全な人間が不完全な情報や知識や浅はかな考えを振りかざしながら人生を生きねばならない。

中学1年女子が学校で無視されて登校を拒否する。祖母が英国人、母がハーフ。みなそれなりに生きる場所を探す必要がある。本人はどうみても日本人だが、日本的女子ソサエティに入ることを拒否する。親に「扱いにくい」と言われて自分に自信を持てない。祖母が西の魔女として孫を預かる。そこでよき祖母に見守られて主人公が大人になる、というほど展開は単純ではない。そうなりそうにみせて、実は祖母が一番人間らしく傷つくことになる。そういうときはタバコも吸うし平手打ちもする。ただし修行した魔女には経験の積み重ねもあるし、自分を知ってもいる。できることだけをやり伝えることを伝えてこの世を去ることになる。

主人公は最初に学校から「逃げて」くる。それを意識しているのだが、そこから脱する部分と脱することのできない部分、キレる部分やら意志の弱い部分やらが出てくる。年齢にふさわしく自分のエリアを確固たるものにしたいという潔癖もある。それは成長の話と読むよりも、大人も含めて誰にでもある話と読むべきだろう。純粋に示すのに中学生が適当だっただけではないのか。西の魔女は、そのような自分を乗り越える幸せを伝えようとするが、そうできない自分を伝える必要も出てくる。最後まで人は乗り越えられない弱さや矛盾がある。

魔女になれば人に好かれる。嫌う相手には嫌われる。それも魔女が残し示すものではある。サンクチュアリを与えてくれるがそれが完璧に自分を守るものではないことも示される。娘はハーフで魔女になれていない。夫は亡くなっているがずいぶんと存在感がある。意外に冷たくない義父と父親の関係。余韻の残るタイプの映画だと思う。

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