Martian Child(NK)
これは捨て子が悲しい、という話だが、アメリカ的に緩く作られている。実話に基づいているということが悲しいが、つまり捨て子は自分が火星から来たと信じて行動する。火星は良かった、迎えが来る、と。彼は自分を放置しておくと浮き上がると信じて、おもりを身に付けている。これは悲しい話で、自分が浮き上がるという象徴的な状態を実体化していると思ったほどだ(それほど解釈的な見方をする必要はないが)。生活の中ではギャグにまみれているのだが、育てようとする小説家も子供のころほとんど同種であったことが分かる。どんな子供もそういえばさまざまな空想と現実との折り合いをつけて暮らしている。現実が火星人ではないということに気付かねばならない厳しさは、やはり成長そのものの象徴と言える。捨て子の特殊な環境という悲しさ以上に、この点に悲しさと成長の寂しさと大人の誇り?を感じるということだろうか。錘がないと折り合いがつかない火星人は、結局8歳ほどにして、自分を受け入れる小説家を受け入れかつ自分が火星人では無いことを受け入れることになる。この結末自体の本質的な悲しさ(一見ハッピーエンド)というのは、成長の悲しみということなんだろう。そこに共感があるのだ。しかし、現在の米国は、養子が多いわけで(小説家の新しい彼女も)、こういう人たちがまた養子を育てていくうちに、なんかいろいろなものがバーチャル化していく気もする。もちろん養子は悪ではなくて善だが、その前の段階が問題で、日本でも増えている感触がある「子育て放棄」の拡大が、不要な悲しみの増殖につながるのだなと思った。普通の子供は普通に子供であることを捨てて小さく大人になる(周りと調整して生活することを受け入れる)ことを悲しめばすむのに。
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