太宰治「斜陽」を読んだ(NK)
太宰が新聞小説として貴族の戦後の没落を描いたことで大衆的人気を獲得した小説。しかし、内容としてはそれ以上のものがある。基本的に私小説的であり自分の生活に関わる元貴族の女性が一人称で語る。貴族丸出しの女性の語り口は確かに人気を得ただろう。
しかし、実はこの女性も、その弟も、小説家もすべて太宰自身である。その意味で、この小説は実に構成をしっかりさせた小説らしい小説でもあり、本質的に私小説というか太宰自身に向き合った小説でもある。
完全な女性として、女性の母親が出てくる。息子(弟)は母親へのコンプレックスが強い。もちろん主人公もそうなのだが、息子は母親が死んだとたん自殺する。息子が自殺するのは自分探しの不徹底とか社会との不一致、あるいは違和感の結果であるから、それ自身太宰の感覚を象徴する。どこにいっても安心できない。女性はある意味で強いので、革命を起こすかのように倫理的に悪い行為に進むのだが、それ自体が没落というよりも斜陽であって、人としての救いではないことが示される。
ただ、個人と向き合ってしまえば、社会に対して違和感しか感じないという太宰、三島、川端など日本を代表する小説家の小説のモチーフは、それなりに飽きる面がある。一度にたくさん読むと実に「同一」なのである。マルケスが描く個人と社会との違和感は、例えば社会で当然視される殺人があり、そこに矛盾を感じない個人を描くが、構図はまったく逆である。オウム真理教事件などに強い衝撃を受けた現代の小説家である村上春樹が描くのもやはりマルケスなどと同じ方向から社会と個人を見ようとする。
三島などが戦争を通じて訪れた美の危機と自分の危機とを同一視できた瞬間を金閣寺で描いたように、敗戦という大きな社会的危機を通じて、日本人は外向きの思想を持つチャンスがあったのではないか。にもかかわらず、戦後にそのような動きは無く、逆にさらに内向的になったようにも見える。それは戦争中と戦後の思想の転向が原因かもしれない。あまりに大きく変わらなければならなかった日本の知識人は、そもそも繊細さが「売り」だっただけに、社会性を持ちそこなったのだろう。戦争前に社会主義から転向した太宰の傷つきは深かったのだろう。その繊細さ(人に好かれたい心も強い)ゆえに、社会との不一致、受け容れられなさへの落ち込みが強かったのか。
0 Comments:
Post a Comment
<< Home