不合理な死
時代を超えて、現代では不合理な死につながるような事態はあまりない、と思われてきた。
デジタルが水脈のように張り巡り、発展途上国や専制政治国の「不自由」な中からも意識の覚醒と自己表現の感情からの止むに止まれぬ発信があり、「現代」のグローバル化、情報のインフラ化が不可逆な流れで進んでいる。
そんな中でウクライナの事態を言うに及ばず、発生し続ける不合理な死。日本に生まれ、日本に育ち、幸せな人生だとは思うが、目線を外に向けると現代のグローバル化の進展の中で見逃せない死を迎えている人がいる。我々はこれに対し、何をどう受け止め、何をすべきか?
不合理な死をしっかり覚悟する中で、日々すべきことをするということかな。
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