島尾敏雄「出発は遂に訪れず」を読んだ(NK)
島尾敏雄「出発は遂に訪れず」ちくま日本文学全集
昭和37年。戦後だいぶ経ってからの作品。「出孤島記」よりもさらに緻密で冷静な描写となっている。「出孤島記」の最後に近い8月13日から記述される。発信の合図がいっこういかからぬ、近づいてきた死はその歩みを止めている。
自分が死ぬというきっかけが、敵の指揮者の気まぐれな操舵や味方の司令官のあわただしい判断とにかかっているかもしれないことに「底知れぬ空しさ」を感じる。はぐらかされた不満と不眠のあとの倦怠がある。攻撃命令を待ちながら、太陽が昇っていくと、その新しい日が「私には理解できない」と感じる。いったん死の側に行ってしまうことで、奇妙な感覚に襲われる。生きて戻らない突入がその最後の目的である日々が重なりすぎていたと思う。やり場の無い不満は、矛盾したものに違いない。
「出孤島記」の最後に出てきた新たな日の日常の些細な行動の束は、ここでは、「余分なつけ足し」「無意味なつみ重ね」「死の完結が美しさを失う」ものになる。きおいたつ自分のきまじめな要求は「貸し金の催促」のようなものとなったように感じられる。出撃しない自分は「光栄を自分のものにしていない」。
「私」は死を嫌悪しているのだが、それが遠ざかると「眠り」や「空腹」などの生のむずがゆさがはたらきはじめて、死ぬのに睡眠や食欲がなくならなことが「虚無におしやる」。なかなかこない出発命令で、生きる可能性を感じ始めているのかもしれない。自分の中で分裂が生まれてくる。出発の日を待っていた自分が不発のまま待たされていることで、「生のいとなみ」が億劫となる。
部落の慰問を代表者だけで受け容れることにする。そこに見栄の笑いが求められる。一時的に生の側と関わるが、日が翳ったとたんに、「もとの断絶」が横たわる。何の連絡も無かったことのほうに気がいってしまう。そして「こちらの側」に取り残される。
他の作品では明確ではなかった死と生の区別と違和感がここには明示される。「生の世界の方にまだ何かいっぱいし残したままのうしろ向きの気持のずれ」や逆に「ないがしろにされた感情」などが交錯し、生き残ったとしても違和感が残るだろうと予感する。死の直前の恐怖は「事故」のような死ではなくなるし、生への執着が起きないうちに出発できる、など、死や生を直接的に語る部分がある。
14日の真夜中近くに指揮官を防備隊に集める命令が来る。「まじめな態度を求めながら応ずるとまじめ過ぎたおかしさを嘲笑する世間のやり口で」緊張をあざ笑われたように感じる。8月15日に歩いて防備隊に向かう。途中「戦争は終わったのかもしれない」と感じ始める。生き残れるかもしれないと思うとからだがあつくなる。近くにトエがいるように感じたのは、いわば生の側に近づいたことを象徴する。からだ全体を包み込んでくる女性的なものがまといついたと言う。生きることは女性的だという直観がある。そして日本は降伏したことを直観する。
正午の放送はよくききとれなかたが、司令官から無条件降伏を受け容れたことを伝えられる。そして勝手な行動に出ないようにと諭されて、自分がそれだけの権限を持っていることに気づく。だが特攻出撃の決意を発表したらどうなるかなどと考えつつもそうしない。それは栄光につつまれているように見えたにもかかわらずである。言いようの無い寂寥がおそい、生きる側に戻ったのに生きる世界が色あせてありふれたものにしぼんでしまう。
最後に下士官に一種のいやみを言われた形になり気持ちがふさぐ。毒を仰ぐという思いつきに、せっかく生きられるようになったのに、それを自分の手にするまでにまだ難関が横たわっていると思いがっかりする。それでも徐々に戦闘状態から抜け出そうとするところで終わる。
0 Comments:
Post a Comment
<< Home