島尾敏雄「出孤島記」を読んだ(NK)
島尾敏雄「出孤島記」ちくま日本文学全集
これが聖書の「出エジプト」を意識して書かれたのか分からないが、昭和24年には、「島の果て」に描かれた「メルヘン」をより自分自身の手による心理の写生になってきている。
島の基地に配備された後爆撃に悩まされるが、それが3日ばかり来なくなったところから始まる。その特攻艇は目標直前で離脱してもよいことになっていたのだが、一緒に敵の船にぶつかってやろうと「その他にどんな道も自分に許されていない」と思い込んでいた(それは後になってみると不思議に思える)。
さらに本土との輸送路は断たれ、エンジンはさびつき、船体はくさりつつあった。自殺艇が置くかを発揮するにはある時期のうちに使用されねばならない。敵にさえ見放された気になる。この意味で(特攻がいやとかではなく)自分は「無理な姿勢でせいいっぱい自殺艇の光栄ある乗組員であろうとする義務に忠実であった」。義務や「栄光」に違和感がなく、せいぜい装備や環境への不満がある程度だった。
「おそろしいこと」に自分の部隊の性格が「私」の性格に似ている。自分の体臭が消しがたく、しかも自分はその体臭を望んでいない。このような違和感とおそろしさが、当面の問題だった。
すでに特攻隊員の自分は、原爆投下の知らせも時間の流れの中で受け止めていない。時間は止まっていて「日に日に若くなっていった」とすら感じる。それは「死んだ側」にいたからと見ることもできる。「昨日は今日に続かず。そしてまた今日は明日に続いていきそうも無い。」さらに原爆の知らせは「楽に死ぬことができそうだ」とこっそり感じた。「なおあがいてみせろとは要求してこないだろう」と感じた。「だれかの命令にこだわり、その命令に忠実であろうとした」。命令に違和感はなく、うまくいくことにこだわったということだ。しかし原爆の前ではどんな命令もおそらくナンセンスにも思われてくる。命令や命令を出すものに疑いを持ってはいた。
三日間の静寂の後、夏の暑さ、潮の香り、鳥や蛙の鳴き声などが自分の周りにあることをあらためて強く感じた。訓練は船を傷めるので回数を減らし、芋を作るようになる。ただ、乗組員と本部要員などとの間に対立が起こり、乗組員には特権のような意識も出ていた。
隊長としての自分は、自殺艇の効果が疑わしく、戦局の末期的現象を感じ、他の士官の強い自己主張やただ命令を待つだけの生活により食欲が減退していた。なんとなく戦争の終結が予想されなくも無い状態だった。
一方で、深夜に基地を抜け出してNと会うようになる。「島の果て」で描かれたメルヘン的状況の裏で、非難するものと許容するものとが分かれてくることも描かれる。そして48人もの自殺艇を引き連れて出撃の命令をする自分がある。ただ、浜辺の石ころを伝いながら歩く「私」は何も考えていない「私は土偶に過ぎない」。確かにまだ生きていることを喜んでいるともいえるが、「考えない自分」がいることでかろうじて自分の心理の統合・バランスを保っているのかもしれない。死ぬことを命令された自分が時が止まった死の世界にすでにおり、一方で生きている世界のNと会う。そこにはかないバランスはあった。
ただ、もうすぐ出撃の可能性が感じられる中、もし1艇隊を出すとしたらV少尉を先に出すという考えが「ある快感を伴って誘惑してくる」。そこに出撃命令が来る。しかし1艇隊を出す命令であった。そこで「私が先陣をつとめましょう」と言う。そういう自分に皮肉や自分の隊員への罪の意識などを感じる。もっとも次の命令で全員出動となり「験されている」と感じるが、なにごともなく出撃準備となる。
この身のいとおしさを感じる。しかしそれはNとの関係においてである。発狂したNが兵火の犠牲となって死ぬことを望む。しかしまた雑草の如く生き延びることも同時に願う。それでも徐々に平常な気持ちを取り戻す。「私」が感じるのは「何という人間事のせせこましさ」「たくさんの拘束の環のがんじがらめで、今宵奇妙な仕事を遂行しようとしている自分」であった。小さな事故が起こるが、犠牲は無い。隊員の奇妙な精神状態のひとつの象徴でしかないようだった。
そこにNが現れたと知らせられる。演習だと言い聞かせて戻るのは「島の果て」と比べれば些細なエピソードとして切り捨てられる。その後待機のまま時間が過ぎる。昼間の出撃がないため、夜明けとともに慰問の申し込みをどうするか、Nに手紙を書くか、入浴するか、あるいは髭を剃るかといった日常が戻ってくるところで終わる。
これが聖書の「出エジプト」を意識して書かれたのか分からないが、昭和24年には、「島の果て」に描かれた「メルヘン」をより自分自身の手による心理の写生になってきている。
島の基地に配備された後爆撃に悩まされるが、それが3日ばかり来なくなったところから始まる。その特攻艇は目標直前で離脱してもよいことになっていたのだが、一緒に敵の船にぶつかってやろうと「その他にどんな道も自分に許されていない」と思い込んでいた(それは後になってみると不思議に思える)。
さらに本土との輸送路は断たれ、エンジンはさびつき、船体はくさりつつあった。自殺艇が置くかを発揮するにはある時期のうちに使用されねばならない。敵にさえ見放された気になる。この意味で(特攻がいやとかではなく)自分は「無理な姿勢でせいいっぱい自殺艇の光栄ある乗組員であろうとする義務に忠実であった」。義務や「栄光」に違和感がなく、せいぜい装備や環境への不満がある程度だった。
「おそろしいこと」に自分の部隊の性格が「私」の性格に似ている。自分の体臭が消しがたく、しかも自分はその体臭を望んでいない。このような違和感とおそろしさが、当面の問題だった。
すでに特攻隊員の自分は、原爆投下の知らせも時間の流れの中で受け止めていない。時間は止まっていて「日に日に若くなっていった」とすら感じる。それは「死んだ側」にいたからと見ることもできる。「昨日は今日に続かず。そしてまた今日は明日に続いていきそうも無い。」さらに原爆の知らせは「楽に死ぬことができそうだ」とこっそり感じた。「なおあがいてみせろとは要求してこないだろう」と感じた。「だれかの命令にこだわり、その命令に忠実であろうとした」。命令に違和感はなく、うまくいくことにこだわったということだ。しかし原爆の前ではどんな命令もおそらくナンセンスにも思われてくる。命令や命令を出すものに疑いを持ってはいた。
三日間の静寂の後、夏の暑さ、潮の香り、鳥や蛙の鳴き声などが自分の周りにあることをあらためて強く感じた。訓練は船を傷めるので回数を減らし、芋を作るようになる。ただ、乗組員と本部要員などとの間に対立が起こり、乗組員には特権のような意識も出ていた。
隊長としての自分は、自殺艇の効果が疑わしく、戦局の末期的現象を感じ、他の士官の強い自己主張やただ命令を待つだけの生活により食欲が減退していた。なんとなく戦争の終結が予想されなくも無い状態だった。
一方で、深夜に基地を抜け出してNと会うようになる。「島の果て」で描かれたメルヘン的状況の裏で、非難するものと許容するものとが分かれてくることも描かれる。そして48人もの自殺艇を引き連れて出撃の命令をする自分がある。ただ、浜辺の石ころを伝いながら歩く「私」は何も考えていない「私は土偶に過ぎない」。確かにまだ生きていることを喜んでいるともいえるが、「考えない自分」がいることでかろうじて自分の心理の統合・バランスを保っているのかもしれない。死ぬことを命令された自分が時が止まった死の世界にすでにおり、一方で生きている世界のNと会う。そこにはかないバランスはあった。
ただ、もうすぐ出撃の可能性が感じられる中、もし1艇隊を出すとしたらV少尉を先に出すという考えが「ある快感を伴って誘惑してくる」。そこに出撃命令が来る。しかし1艇隊を出す命令であった。そこで「私が先陣をつとめましょう」と言う。そういう自分に皮肉や自分の隊員への罪の意識などを感じる。もっとも次の命令で全員出動となり「験されている」と感じるが、なにごともなく出撃準備となる。
この身のいとおしさを感じる。しかしそれはNとの関係においてである。発狂したNが兵火の犠牲となって死ぬことを望む。しかしまた雑草の如く生き延びることも同時に願う。それでも徐々に平常な気持ちを取り戻す。「私」が感じるのは「何という人間事のせせこましさ」「たくさんの拘束の環のがんじがらめで、今宵奇妙な仕事を遂行しようとしている自分」であった。小さな事故が起こるが、犠牲は無い。隊員の奇妙な精神状態のひとつの象徴でしかないようだった。
そこにNが現れたと知らせられる。演習だと言い聞かせて戻るのは「島の果て」と比べれば些細なエピソードとして切り捨てられる。その後待機のまま時間が過ぎる。昼間の出撃がないため、夜明けとともに慰問の申し込みをどうするか、Nに手紙を書くか、入浴するか、あるいは髭を剃るかといった日常が戻ってくるところで終わる。
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