不合理な死
時代を超えて、現代では不合理な死につながるような事態はあまりない、と思われてきた。
不合理な死をしっかり覚悟する中で、日々すべきことをするということかな。
へんなおじさんたちのブログ。
時代を超えて、現代では不合理な死につながるような事態はあまりない、と思われてきた。
不合理な死をしっかり覚悟する中で、日々すべきことをするということかな。
入社時同期の集まりではあるものの、既に退職した人ばかりで、メンバーの中では私がこの3月末で、最後の退職者となる。定年退職後であって、継続雇用の辞退によるものの、という但書がつくが。
昭和60年、1985年入社からの38年が経過し、当たり前にそれぞれの人生があり、それぞれの価値観が作られてきている。
Birds of a feather flock together. その中でもBタイプという類型を切り口に集まってきた。参考になることも多い。熊本熊さんともお会いしたい気持ちも強いな。その時は、いつ?
還暦を迎えて、時間の過ぎるスピードがさらに速くなるってことがあるのか。年末が誕生日なので、還暦後の一年間を過ごした感想となる。
忙しさを分解すると、インプットとアウトプット、処理の複雑さ、頻度・件数ということになる。また、非経験とか未経験による試行錯誤によるというファクターもあるのだろう。
ゆるぎない日常を作っていくためには、こういった全てのことを体系化し、整理していくことが大切で、そのためにフレームワークが不可欠なものとなる。新しく会社を設立し、社内との接点を大きく再編成するとともに、多くのインプット、アウトプット、処理を再設計し、綺麗な流れに仕立て直すこと。
揺るぎない日常は、一つ一つのアクション、一瞬一瞬の判断、それらの蓄積と大きな視座から成り立っている。
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