先週、昼の時間にぶらりと会社の近所を散策にしていると偶然に、木場 繁栄稲荷という社に行き当たりました。横には「大丸コアビル」があり、左の由緒を読むとなるほどね、と納得しました。歴史と由緒を感じました。
"当神社の起源は江戸時代の中期、宝暦7年(1757年)にこの木場に創祀されたことにはじまります。大丸の業祖下村彦右衛門正啓は、享保2年(1717年)伏見に創業し、寛保3年(1743年)日本橋大伝馬町に江戸店を設けましたが、越えて宝暦7年(1757年)深川木場四丁目すなわち現在の繁栄橋橋畔に貯木場を備える別墅を営み、その一郭に社殿を造り、伏見稲荷大社の御分霊を祀り、繁栄稲荷と称したのです。祭神の霊験はあらたかで、地元の木場はもとより江戸一円の信仰を集め、3月12、13日の例祭には門前市がたつ大賑わいで、その側に架せられた橋も、いつしか繁栄橋と称されるようになりました。明治末年、大丸が東京店(旧江戸店)を閉じ、木場の別墅も廃したとき、社殿は先代根津嘉一郎氏の青山邸(現根津美術館地内)に移り、同家の嘉栄稲荷として祀られ、関東大震災、第二次世界大戦の空襲にもその災禍を免れ、二百年前のお姿のまま残ってまいりました。昭和35年5月のこと、たまたまその社殿が繁栄稲荷のものであったことがわかり、根津家の御厚意でぢ丸に御返譲していただくこととなりました。窮地に近接したこの地に境城を卜して、昔ながらのお姿をもって、本殿玉垣その他を移築、あらたに伏見稲荷大社の御分霊を勧請してお祀りすることとなりました。"
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